« 2014年1月 | トップページ | 2014年3月 »
長岡でこの曲を初体験したあの時のインパクトに匹敵するものがあった。
でも、クラシック演奏家としてこの感動に体を委ねて良いのかという疑問が残る。
半分映画音楽のようだからだ。
例えばハリーポッターが、ヘドウィッグに乗って、初めて空を飛んだ時の音楽に似ていたり。
それをクラシックの再現芸術家が夢中になって良いのか?
きょう、一曲目から客席と対面する位置に座り一曲ずつかれらのリアクションを見ながら思った。
これでいいのだと。
初めて聞く観客は次はなんだろう?なんでこんな残こくな歌詞にこんなに美しい旋律がついてるのだろうと思うような顔をしたり、打楽器が打ち出す大砲の音に子供のように驚いたり。引き込まれていたように思う。
原爆が投下された後の曲はなんとも愚かな人類の愚かさに対する許しを得ているような美しい曲ばかりだ。
観客はその美しい音に聞き入っていたし共感しているような表情をしている人もいた。
確かに美しいのだ!特にベネディクトゥス!!
原爆投下までの7曲は戦争の愚かさを描き、8曲目からはそれに対する許しを懇願する音楽。最後は平和を世界に呼びかける音楽で終わる。
これは演奏されるべきだ。広島のでのあの歴史を繰り返さないために。
最近のコメント